

私の出身地は水戸で、5人兄弟の3番目です。家は農家でしたが、父が大酒飲みで稼いだだけ飲んでしまう。母が必死になって切り盛りし、何とか一家が食べているという有様でした。
私は小さい頃からいたずらっ子で、学校は大好きでしたが、給食費を持って行く時だけが嫌でした。その時の切ない気持ちは50年以上経った今でもよく覚えています。

忘れもしません。中学2年の時、学校から犬吠埼の灯台にバスで遠足に行くことになりました。費用は1,600円。母に切り出せず、私は行かないと決めていました。ところが友人のお母さんが「良三さんはどうして行かないの?」と訊ねたことから母に知られてしまいました。
「何で言わないの」。母はそう言って、近隣の農作業を3、4日手伝うという約束で1,600円を工面してきてくれました。
嬉しかった。でもみんなはお小遣いを持っていくのです。そこまでは流石に母もできなかったのでしょう。遠足の日の朝、そっと私を呼んで言いました。
「ごめんね。お小遣いをあげたいけれど、お母さん、これだけしかないんだよ。これでよかったら持ってお行き」。
母が開けたがま口の中には、10円玉がひとつ入っていました。
「いらない」
それだけ言うのがやっとでした。貧乏はいやだ。貧乏はいやだ。俺は早く働いて一日でも早く母さんにお小遣いをあげるんだ。
この日の体験は私の中に深く根を下ろし、やがて誰にも負けない仕事をするという原動力になっていったのです。